SwitchEasy CapsuleNeo for iPhone 3G/Black - Special Pack (PleiadesDirect限定品)SW-CAP-NEO-B-PD
Amazonに携帯電話の画像がないんで、iphoneにしてみた。
ここんとこ雪崩を打ったように非正規雇用者の解雇が続いてて、連日、クローズアップ現代やらニュースやらで、彼らが今、どういう状態になっているのかのレポートが放映されてますが、フリーの私とて人ごとの話ではないので、自分なりにいろいろ考えてるうちに、一つ気づいたことがあります。それは、携帯電話がなければ、こんなに大量に非正規雇用者が失業即、家なき子になることはなかったんじゃないかな、ということ。
携帯電話がなかった時代、直接、面と向かって仕事を斡旋される日雇いさんは別として、一般的には職を得るために固定電話が必要でした。固定電話が必要ってことは、契約するための家も必要だったわけで、住まいと電話はセットで仕事探しに必要不可欠なものだったのです。家を借りる余裕がなくて、誰かの家に間借りだったとしても、その場合は、家を貸してくれる誰か(=サポートしてくれる人)がいたんですね。ところが、携帯電話の登場で、定住している「家」は職探しの必須条件ではなくなってしまった。働く人間だけがいれば職探しができる状況になってしまった。つまり、セーフティネットが減った状況になってしまったのです。
まぁ、今さら言っても、なんですが、携帯電話がない時代だったら、今回のような大量解雇があったとしても、即、家なき子になる人の数はもうちょっと少なかったんじゃないでしょうか。便利になるということは、一方で、セーフティネットを減らす可能性もあるということの典型例になっちゃったなと思います。
それともう一つ、今回の大量解雇が社会に与えた影響として大きいのは、非正規雇用者に対する労働環境の問題をあぶり出したっていうことも確かにあるんだけど、もっと深いところで、多くの人が日本人としてショックを受けた部分があると思ってます。それは何かというと、ここまで日本人は社会的な連帯感や宗教的(って言っちゃうと、意味が微妙に違うんだけど、今、パッと他の言葉が見つからない)な根っこの部分と切り離されてしまっているのか、ってことです。
日本人にとって、年越しってーのは、ものすごーく大事な行事なんですよね。なんせ去年のことをリセットしちゃうんですから。借金取りも12月31日まで、ってーのが昔はあったわけだし。いくら世の中、365日、コンビニ生活になったとしても、1月1日になったら、改まった気分で迎えるのが日本人なわけです。
ってことを考えれば、ちょっと前の日本企業だったら、社員ではない非正規雇用者であっても、彼らを年越しができない状況にするのはしのびない、っつー感覚があったはずで、解雇するにしても、年が明けてからにしたんじゃないかと思うのです。それが、今回は、ばっさりとさっさと切っちゃった。それも日本を代表するような大企業が。企業そのものが年越しできないほどの状況に追い詰められていると読むこともできるけど、本当にそうなのかなぁと私は疑っております。だって、ちょっと前まで景気いいこと言ってたじゃん。そんなに日本の企業は体力がなくなってるんでしょうか?
なんか売上云々っていう金額より、そっちの企業精神のほうが私としては、今後の日本企業、大丈夫なんか?ヤバイんじゃない?と思っています。どっかの工場の社員の人が、非正規雇用者を解雇するのはおかしいといって、労働組合として立ち上がってたけど、あの動きは人間として(というより、日本人として、なのかな)、とっても正しいと思ったし、そうだよなー、それが普通の感覚だよなーと思いました。だって、社員と臨時雇用の差はあれ、昨日まで同じような仕事を隣でして、顔も知ってる、話もしてた人がいきなり理不尽な解雇のされ方をしたら、「そりゃ、ないよ」って誰でも思うもんじゃないんですかねぇ。
ちなみに、景気のいいときは、「フリーター」ってカタカナだったのに、景気が悪くなって、事件の当事者になると「非正規雇用労働者」って漢字で言うようになるのは、いったいマスコミの何のルールなんだろう?とも疑問に思っている今日この頃。労働基準法とか、なんか法律用語を使ったほうがいいってことがあるのかもしれないけど、そういう言葉の使い方にも、ちょっとワタクシ的には注目しております。今度、詳しい人に聞いてみよう。